女性建築士のブログ 普段どおりの毎日

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飢餓列島

たまには お仕事のお話をしよう~

ブログを新しく訪問してくれたオトモダチが、
「ねぇねぇこの人仕事の話全然しないけど、設計事務所やってるなんてプロフに書いてあるけど、ホント?」
とか
「設計事務所をやってるのは、きっとダンナで、本人はなにもしてないんだよ~きっと」
とか思われちゃうと、全然違うよ~と言いたいし・・・

だって、ワタシには、お金を運んできてくれるダンナもいないばかりか、金をムシャムシャと食う息子がいる。
毎日、やたらに 刺身を食いたい というばあさんもいる。


材料がないないづくし の始まりは断熱材からだった。
なので、「a precious park」の家の断熱材は何ヶ月か前からゲットしておいた!
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上棟は3月15日だったので、11日には構造材も、合板もばっちり入荷していた。
そして未曾有の大震災が起こって、東北の工場が被災し、物流が止まった。

なんだか、小説のような具合のギリギリセーフだったのだ。
ユニットバスもメーカー変更でなんとか納期回答がでた。
ホント、心臓バクバクの2週間だったのだ。

ワタシの仕事は、なんたって設計監理において工期を遵守することも重要だ。
今回はお客様が設計士ということもあって、分離発注方式で工事を進めているしネ!
綱渡りの材料調達は多分みなさんも苦労されていると思うのだ。

食べ物でいうと、東京では、米・卵・牛乳・納豆・トイレットペーパーがないらしい。
納豆はなくてもどうにかなるが、さすがに米とトイレットペーパーは困りもんである。

まるで戦時中さながらの飢餓列島だ。

17.8年くらい前にも、米が世間から消えた。
どこを探しても、白米がないのだ。
突然、理由もみあたらないのにだ!
これは何ヶ月かして、おさまったのだが、未だになぜ米が世間から消えたのかわからない。

実はこのときから我が家では、近所の農家から直接 米を買うことにしているのだ。
農家から米が消えることはない。
でも市場からは消えてしまうという不条理が世の中では起こったりする。

米がないのは、、マジ困る。

仕事がないのと同じくらいに、困る。
友達がひとりもいなくなるのと同じくらいに、困る。
パソコンが壊れるのと同じくらいに、困る。

オイルショックと呼ばれた40年前には、世の中からトイレットペーパーが消えたこともあった。

日本は狭いし、単一民族だし、みなと同じことをしたい性質だし、ましてやこの飽食で豊かな生活にどっぷりつかっているので、モノがないことが最大の恐怖だと感じてしまうのである。

近代都市国家の最大の弱点である。



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コメントを書き込めるようにしました。053.gif



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by asaasa-archi | 2011-03-29 00:10 | お仕事

ペチュニアをハンギングしたの巻

なにしろ、HPに「自然生活と住まいの幸せをプロデュースするアトリエ」とかいう、ミョーに仰々しいタイトルをつけてしまったもんだから、最近は自然生活を意識してしまうワタシであった。

自然生活→ガーデニングという単純な思考回路の末、本日はハンギングをやった。

13年前に家を建替えたときには、ワタシだってものすんごくがんばって、ガーデニングをやっていた。
南側の隣家との境(15mくらい)は、ラティスの塀に、あふれんばかりのハンギングを飾っていた。
秋~冬はパンジー 春~夏はペチュニアという感じで年に2回の植え替えをした。
もちろん水やりも、一日に2回した。
ガーデニングの雑誌も毎月買っていた。
だから、家のアプローチはいつも、お花でお出迎えって感じで、自分でいうのもなんだが、かなり華やいだ表情となっていた。

何年かして、このラティスの塀が台風で大破した。
水やりもめんどくさい~と思い始めた。
そして、my houseのハンギングは自然消滅したのであった。

何年もの間 ウチの玄関は閑散とした風景になった

さっそく、100円ショップでハンギング用のポットを8ケ買った。  しめて¥840
ホームセンターで赤玉土 1袋(¥298) と ペチュニア 16ポット(¥78×16)を買った。

このペチュニアは夏のハンギングにはぴったりだった。
暑さに強いし、大輪の花を何回も咲かせてくれる。
花が枯れ始めたら、花弁からプチッと、つまんで取り除いてあげると、ホント何回も花が咲くのだ。
大体いつもは¥100/ポットで売っているので、本日の¥78はお買い得だ。

ホームセンターの園芸コーナーはいつも、定年退職したような夫婦でいっぱいにあふれかえっている。
こういう世代はやっぱ、園芸しちゃうんだな~と思いながら、カートを押していたら、近所の定年退職したおじさんにばったりあった。

「こんにちは。」
「お~松浦さん~園芸やるの?」

え・エンゲイ と言われてしまうと、なんとも盆栽とか連想しちゃうワタシであったが、

ガーデニングをまた、始めようと思って・・・」
とわざわざワタシは、園芸をガーデニングと置き換えて言ってみた。

「そりゃーいいーなんたってこれからは、園芸のシーズンだからね。じゃあね!」

だからさーワタシがやってるのは、園芸じゃぁなくって、ガーデニング・だ・か・ら  オジサン!



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by asaasa-archi | 2011-03-27 22:50 | 生活

ブログをランキングしちゃうという魔法

みなさまもご存知の通り、ワタシはブログランキングの「にほんブログ村」というところに、先日エントリーした。

ページを開くと、1位 2位 3位という順番にブログが並べられていて、その順位の根拠となる、クリック数が右側に書かれている。
で、どうもこの順番は刻一刻と変化していくようなのだ。
クリック数を時間ごとにコンピューターが集計して並べ替えちゃうらしい。
けっして、コンピューターの向こう側で、人が電卓叩いて、手作業で並べ替えているわけじゃぁないってことだ。

こんなワザもコンピューターだからできちゃうんで・・・
だから、多分ランキングという発想も、PCの特技を生かして考えたことなのかもなぁ~とアナログ人間のワタシは思ってしまうのだった・・

ふん!そんな順番なんて関係ないだもんね!とか思ってみるが、やはり1位~3位のブログはダントツオモシロイ。
誰がみてもオモシロイということは、大変すごいことで、決して自己満足だけで書いていたのでは到達できない境地なのである。

一回でもそのブログを訪れた人の心をわしづかみにして毎日訪問したくなるような魅力があるのだ。
やっぱ、クリック数ってブログの面白さの正直なバロメーターだと思った。
で、上位の順位のひとは、ほぼ毎日更新しているのだ。

これもすごい持続力である。

建築ナビも、担当がF氏になって、なぜがページビューのランキングに自動的に参加させられている。
これも、まぁ、ふん!って感じで過ぎてしまえばどうってことないが、人間て不思議で、気にするなといわれれば、益々その順位が気になってくるのである。

片山さつきさん(元国会議員&枡添さんの元妻)は高校時代ものすごく頭がよくて、全国模試でいつも1番をとっていたそうだ。
なので、東大にはいったときには、みなが「片山さつき(旧姓は朝長)」ってどいつだ?と噂したそうだ。
東大生全員が「片山(朝長)さつき」の名前を入学以前から知っていたからだった。

これも、ランキングの魔法である。

ランキングで下がった~とか上がった~とか一喜一憂するのもなんだか、楽しいのだ。
ランキングなんて、上がったり下がったりするものなので、よくよく考えれば他愛のないことなのだが、人間というのは、わかっていても魔法にかかるときがある。

子育ても終わったおばさんとしてはこういう他愛のないことに、のめりこんだりする。

なぜならば、この歳になると、ランキングされるなんてことは、まずないからだ。
つまり、人から注目されることなんて、段々なくなってきて、よく言えば「スローライフ」とか言うのかもしれないが、なぜか、悲しい響きに聞こえたりもする。

いやいやワタシはまだまだ、走り続けたいと思っている。

どんどん、ランキングされたい。

だって、人生は90年あるとすれば、ワタシはまだ51歳で、やっと折り返し地点を少しすぎたくらいなのだ。

ゆっくり歩くのは、まだ 早いっしょ!



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by asaasa-archi | 2011-03-25 23:26 | 思うこと

上棟

大震災のあとで、気分晴れやかとはいかないまでも、本日は上棟でした。

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只今、地震あり

お~心配です。

そして、mysonが帰省途中の新幹線のなかです。

富士付近で、停車中とのこと・・・・


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by asaasa-archi | 2011-03-15 22:46 | お仕事

TSUNAMI

何ヶ月か前に 韓国映画「TSUNAMI」を観たばかりだったので、今日のニュースで川を逆流する津波を見たときには、この映画の恐怖を思い出してしまった。

ストーリーはいたってありきたりで、アルマゲドンとか2011などとほぼ同じだ。
韓国に地震が多く発生し出して、大学教授がもうすぐメガ津波がくると政府に何回も警告するのだが、誰も信じず、なんの手立てもしないままに、本当にメガ津波に襲われるという内容だ

もちろん日本は地震に関しては、耐震などそうとうの準備をしているので映画とは違っているが、津波に関しては、実はあまり恐怖感がなかった。
ニュースでもう津波がそこまで来ているのに、岸壁近くに人や車がいたりする映像が流れて、はらはらしていた。

映画TSUNAMIで、大学教授が政府高官に「メガ津波がもうくると、日本では発表しているんですよ!韓国も準備しないと!」と、進言すると、その政府高官はこう言った。
「日本人は、とかく大げさに言う国民なんだよ。」と・・・

地震に関してはかなりナーバスに対応するのに、津波の被害というのはあまり経験していなかったせいか、ニュースで3Mの津波がきます。と言っているのに、これほどまでの津波が押し寄せるなんて思わなかったのではないだろうか・・・
恐ろしいことだ。

津波がこんなに怖いとは・・・

mysonには、まったく連絡がとれなかった。
携帯電話はつながらなくなっていた。

何回もメールした後、今やっと電話が鳴った。

「今、どこにいるの?」
「あのさ~実はさ~合宿で千葉に来ててさ~今日は最終日で車で帰る途中ですごい地震にあった!」

「で・・・」
「みんなで車で幕張まではなんとか来たけど、習志野の友達んちへ停まらせてもらうことになって、車を乗り捨てて今3時間くらい歩いたとこ・・あとさ~2時間はかかるナ!」

「・・・」
「道路はバキバキに割れてるしね、コンビニも閉まっちゃってるしね!駅には誰もいなくて閑散としてるよ~」

まぁ、男子大学生運動部4人だから、5時間くらい歩いても平気なんだろうなぁ~
わりと、元気な感じ・・・
未曾有の震災に気分が高揚しているのだろう。

千葉なんて、海に近いとこだろうし、危機一髪で津波から逃れたようだ・・・

とりあえず、安否確認できて、ほっとした・・・

被災された方々へ  お見舞い申し上げます・・・



zzz
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by asaasa-archi | 2011-03-11 23:07 | 映画・TV

苦役列車 西村賢太著 を読んだ。

芥川賞選評で島田雅彦氏がドフトエフスキーの「地下室の手記」の主人公を彷彿させると書いていたが、私もドフトエフスキーの作品がちょっと頭を過ぎってしまった。

そのくらい、全体の重く、どす黒い描写がしつこいくらいに、口の中にべたべたと残る感触がした。

主人公 貫多 の社会の底辺に生きながらも気持ちのエネルギーがマグマのように地中にどろどろと渦巻くようなさまが手に取るようにわかる。
食欲と性欲だけを満たすために働く貫多が人足の仕事で、同年代の若者と触れ合い擬似的友情を抱いたりもするが、やがて生い立ちや生活の違いから、離れていく。

日雇人足というある意味、劣悪な職場環境になかでも、階級が存在し、毎日真面目に働くものは、肉体的に楽な仕事に廻され、昼食の待遇も差別される。
ただ毎日真面目に働けば階級が上がることも知りながら、真面目に働けない貫多が、その階級差別に苛まれるという理不尽さが、しごく人間らしくかえって読み手が安心感をうる

実力は文句ないが、アナクロニズム的作風が、逆にこの実力を押し隠す。
貧困、差別、無能、あられもない性描写などの具材が大鍋で煮えたぎるようである。

貫多と日下部くんとの交流はおもしろく、日下部くんの人物像もよく書けている。
ただ、これもテーマは何かと聞かれると、ちょっと考えてしまう。

作者は「私小説書き」と自身を定義づけているので、作者の在りし日の青春の一部分といえなくもないが、私は題材は確かに自身に起こったことであろうが、もう少し第三者的に貫多の深い部分の精神に入り込み、観察し、分析しおえてから、書き込んでいるのではないかと思った。

力強く確固たる文章がそれを物語っている。

「きことわ」は転調を繰り返すバイオリンソロのような音楽だと思ったが、これは人間の生と欲の解剖だと思った。
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by asaasa-archi | 2011-03-08 16:26 | 読書

きことわ 朝吹真理子著  を読んだ。

すごい作品だ。

文章がまるで音を奏でているかのごとく空間をゆらゆらと浮遊しながら、しかも旋律を隠しもっている。
先日読んだ「ノルウェイの森」が美しい絵画のようだと思ったが、これは音楽のようだ。
しかも、この音楽は時間軸をゆらゆらとさまよう。

天才とも言うべき表現力もさることながら、この25年前の時と現在の入れ替わりがあまりにもにスムーズで官能的だと感じた。

貴子(きこ)と永遠子(とわこ)の二人が25年前に過ごした葉山の別荘での1日と現在の1日の出来事が書かれているのだが、根底には誰にも平等でしかも一定の速度を持ちながら均等に流れていく時間という概念をみごとに覆して、あざ笑うがごとく転調を繰り返していく。

現在のふたりがカップラーメンの3分を待つくだりにこれが言い表されている。

「一口に3分といっても、カップラーメンを待つ、風が吹きすさぶ早朝に電車を待つといった3分間は長く感じられる。公衆電話の3分10円は会話する相手によりけりだけれど、ウルトラマンは3分あればじゅうぶんすぎる。時間というのは、とき過ぎてゆくようであり、いつも同じ尺で流れてゆかない。」

25年前の1日と現在の1日の二日間をこのような同じ長さでない時間で結びつけバイオリンソロの音色で表現している。

貴子と永遠子の人物もていねいに書かれている。
お互いにおかれた境遇の違いやら、家族に対する感情の区別も正確だ。
貴子の母の春子や貴子の叔父の和雄の関わり方も洗練されている。
多少、抽象画のようなぼかされたテーマが気にはなった。

次回はテーマを掲げ、こういう手法で小説を書いてほしいと思った。
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by asaasa-archi | 2011-03-07 16:33 | 読書

ナルニア国物語第3章 3D を観た     

初 3D映画 でした!

東京ディズニーランドでマイケルジャクソンの3Dを観たような覚えがあるが、詳細を忘れるほどずっと昔のことだった。

波しぶきと、霧、煙 光の臨場感がばつぐんだ。

カメラアングルもすごく動きがダイナミックで、どうやって撮ったのか、興味津々だ。
「オーシャンズ」の映画では、撮影にヘリやらセスナやらを使ったと聞いたことがあるが、そういう感じのカメラアングルだった。

映画の舞台の大半は大海原に浮かぶ1艘の船の上だ。
だから、海、空を360°回転しながら撮り続けることができるし、海の青、空の青、澄み切った空気でさえも3Dに映し出されるようだった。

例によってストーリーはたいしたことはないが、ナルニア王子がチョーかっこいい!053.gif
ワタシのタイプ だ!
(向こうにとっては当然タイプではないが・・・)

ドラゴンとか海の怪物もリアルでよかった。
とにかく、美しい映像を2時間楽しめた~004.gif


ホームページもご覧ください。

耐震&リフォーム工事がもうじき始まります~

a precious park もうすぐ 上棟です~




zzzz
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by asaasa-archi | 2011-03-06 19:40 | 映画・TV

知恵袋の光と影3

「偽計業務妨害」って何だ と思う人はたくさんいると思う。

例えば殺人とか窃盗とかはわかるし、婦女暴行というのもわかりやすい罪名だ。
ワタシは法律のことは全くの素人であるが、今回のカンニング事件で、この罪でなぜ逮捕されるのかと皆思っただろう。

売春という行為がものすごく昔からあるのと同じように、カンニングというのは、試験があれば存在するちょっとした罪である。
誰だって、やったことはないが、そういう話はきいたことがあるであろう。
時効だから言うが、大学時代、英語の試験なんかみんなわからない程度に結構やっていた。

もちろんカンニングは悪いことであるが、19歳の真面目な少年が逮捕されるような罪なのかと誰しも違和感を抱くと思う。
もしかしたら、国家が逮捕したいと思ったら、誰でも意味不明の罪状で逮捕できる国になっているのか と不安になった。

京都大学は「断じて受験体制に不備はない」と明言していたが、不備だらけではなかったのか?
左手で携帯電話を打ち込んでいても気づかないほど、監督は居眠りでもしていたのでは、ないのか?

大学には「大学自治」という崇高な志がある。
国家権力を介入させないという、高く掲げた意思である。
京都大学などは大学の中でも左派に属しているはずなのに、なぜこの意思が反映させられなかったのか と思う。

大学内で共通の受験者を探すとか、知恵袋の答と酷使した回答者を探し出し、大学内で処理することも十分可能であったはずだ。
誰にも知れずに、呼び出して、諭すこともできたはずだ。
こういう面倒さを回避し、国家権力に解決をゆだねたことは怠慢ではないのかと思う。

京都大学に非が全くなかったとは言えない。
優秀な若者を1回の過ちで、前途ある人生を奪うことが、正論なのか。

マスコミに左右されない判断を持つことが、この国の国民はできなくなってはいないだろうか・・・
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by asaasa-archi | 2011-03-05 00:04 | 思うこと

知恵袋の光と影2

mysonは京大やらを受験できるほどの学力は持ち合わせていなかったので、この予備校生ほどのプレッシャーはなかったのかもしれないが、それでも、それなりに、つらく苦しい受験勉強をしていたと思う。

上昇志向が高い若者ほど、伸び悩む学力との狭間で苦悩する。
勉強というものは、もちろん努力したものが報われるという単純な理屈であるのだが、大学受験となるとそう簡単な問題でもない。

定員があり、志望者があるので、相対的学力ということになるからだ。
自分の能力が上昇しても、他の受験者がさらに上昇するのであれば、これは、相対的には順位は上がらないということになる。

しかもチャンスは年に1回しかないし、国立ともなれば、センター+二次試験のダブルハードルだ。
浪人などしたら、もう生活は受験勉強一色となり、あたかもそれが人生の目的の全てであるような世界に追い込まれていく。

千人に一人くらいは、さほど勉強しなくても難関国立大学に合格できるような能力があるが、それ以外の大半は壮絶な受験勉強の末に勝ち取ることができるプラチナカードなのである。
だから受験生は次第に大学偏差値という架空の価値観を創造し、自分で自分を追い込んでいく。
偏差値は学力を表す数値なのであり、価値観ではない。

ただ、そこの時期を過ぎれば、もっと違う世界があることに気づき、自由に活動し始めるのだ。

大学に入った当時はmysonも、もっと上位の大学に編入するとか言っていたが、2年経った今はもうそのことはすっかり吹っ切れて、部活に励み、就活に頭を切り変えている。
大学偏差値という架空の魔物の魔力から解き放たれている。

もちろん就活では、学歴フィルターは存在する。
なぜかというと、偏差値70超の大学生と偏差値50程度の大学生では、確実に基礎能力に差があるのを、皆知っているからだ。
が、就職は大学名で落とされることはあるが、大学名のみで合格はできない。
それに、今の時代、大手企業だってつぶれることはありえる。

大事なことはいかに自分の価値観をしっかり持っているかということだ。
そして、自分を知ることだ。

受験で受かったところが、今の自分の実力相応で、社会が悪いわけでもなく、大学が悪いわけでもないことを、いち早く認識することだ。
受かった大学で、遊び学び、何かを見つけるためにここからスタートするという心構えが大切だ。

だから、親は、受験勉強している間は、目標は高く持てと助言し、たとえ志望校でなくても大学に合格したら、今の自分はここにあるのだから、ここからスタートを切れ と助言するべきである。

偏差値に優劣はあるが、人生に優劣はないのだから・・・

逮捕された予備校生も、まだ19歳なのだから、今度は正々堂々と京大を受験して合格して人生をやり直してほしいと思う。

挫折と成功はセットなのである。


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by asaasa-archi | 2011-03-03 23:06 | 思うこと