文学書の読書で得られるものは、知識ではないのだと思う。
新しい価値観を探して、人は本を読むのだと思うのだ。
人一人の人生では、出会う人もそう多くないし、世の中の事だって、そうたくさん経験できるわけではない。
だから、歳をとるにしたがって、どんどん価値観が固定化し、慣習やらにがんじがらめにされてくる。
子供を持つ親であれば、子供が大きくなってきて、彼らの若さやパワーに圧倒されてくるし、親としては、それを静観しているだけでは済まされず、助言もしなければならない場面もある。
そのときに、古臭い助言しかできなければ、バカにされるかもしれないし、親としては、子供に感心されるような言葉のひとつも言ってみたいと思うのである。
世の中の人は様々で、色々な立場や考え方がある。
偏った見方しかできなければ、つまらない人間になる。
だから常に
新しい価値観を知ることで、自分を磨いていく必要がある。
もちろんこれは映画を観ることだっていいし、TVを観ても様々なことを吸収できるのだが、やはり、奥深くまで、思考したり、感銘を受けることができるのは、読書が一番いい。
ワタシは作者読みをよくする。
つまり、1冊読んでいいなぁ~と思った作者のものを全部読む といったやり方だ。
定番なところでは、宮尾登美子、横溝正史、松本清張、筒井康隆などの売れっ子作家がやはり主流となってしまうのだが・・・
大学生の頃、単発のバイトでポーラのデザイン室に行ったことがある。
そこのクリエーターと話をしたときに、
池田満寿夫の話になった。
当時は
「エーゲ海に捧ぐ」で彼が芥川賞を受賞して何年も経っていなかったころだった。
彼の女性遍歴の話となり、本妻とは別居中で、
詩人の冨岡多恵子と別れ、
中国系アメリカ人画家のリ・ランと同棲中だという話になった。
そのクリエーターは冨岡多恵子の本も面白いし、リランという女性もすごくオモシロイと言った。
若いワタシはその話にひきつけられて、リランと冨岡多恵子の本を全部読んでみた。
自由に生きる才能あふれた女性たちがそこにいた。
ワタシもこんな風に生きたい・・・と思った。
クリエーターとのちょっとした話からワタシの価値観も大きく変わった。
だから、51歳になった今でもワタシは、新しい価値観を求めて本を読むのである。