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「沈黙 サイレンス」を観た。

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「遠藤周作の小説「沈黙」を、マーティン・スコセッシが映画化。

17世紀、キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる江戸時代初期の日本を舞台に、来日した宣教師の衝撃の体験を描き出す。

アンドリュー・ガーフィールド 窪塚洋介や浅野忠信ら日米のキャストが共演。

江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀が舞台。」


3時間弱の映画だったが、長さを感じさせないほどの超大作。


原作に忠実に描かれていたので、原作を読み込んでいないと、歴史上の事件の後追いをする程度にとどまり、真髄を理解することができないと思った。

遠藤周作のキリスト教文学はひたすら「原罪」を追及しているので、そこに照準を当てて観る必要がある。


キチジロウの存在は「ユタ」なのか、「人間」の象徴なのか、をまずは整理したくなるだろうが、そこはあえて、置いておき、主人公の宣教師ロドリゴの気持ちの流れを追ってみることにする。

師のフェレイラが棄教したかどうかを確かめるべく、日本に密入国するが、そこには想像を絶する厳しい現実が待っている。

自分自身に危害は及ばず、日本人の信徒の拷問を次々と目の当たりにさせられて、信仰が揺るぎだす。

自分が棄教すれば、目の前の信徒を助けるという試練に遭遇し、彼の信仰の自問自答が始まる。

「救い」「愛」という概念では、およそ助けることのできない現実。殉教さえも許されない。

答えの見つからない彼に沈黙を続ける「神」

その替わりに 棄教した師フェレイラの言葉が、彼を棄教へと導いていく。


映画では、神の言葉として、「棄教してもよい」と踏み絵がささやくが、ロドリゴ自身の気持ちの表れであろうと思う。

たぶん神はささやかない。

「原罪」の理解がロゴリゴの理解と重なるが、最後までユタを演じたキチジロウのほうが、強い人間にみえたのはなぜだろうと思う。


BGMの大半は自然の音で 雨の音 波の音、風の音、蝉の鳴き声、高温多湿の日本の夏の音 素晴らしい日本の自然を写している。


拷問のさまが怖くて、観ようか悩んだが、思ったほど誇張されることなく、長丁場であったので、ラストは気持ちが落ち着いて終れたような気がした。


棄教そのものに対して宗教観が違う日本人は、さほどの屈辱感はないのが現実で、歴史の一部の悲しい出来事 と整理してしまうことが、この映画の真髄を見逃す原因であると思う。


欧米人にも日本人にも難解な映画と感じた。








zzz





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by asaasa-archi | 2017-02-01 17:35 | 映画・TV