女性建築士のブログ 普段どおりの毎日

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悲しい出来事

近所のおじさんが亡くなった。

長寿な日本では最近珍しい享年66歳だ。

おじさんは定年退職してからはおくさんと悠々自適な老後をおくっていたが、脳出血で救急車で運ばれたときにはもうすでに脳死だったというから、本当にいたたまれない。

ソウル旅行に行く前日に、「旅行に行ってきますね。」と挨拶をしていたのが最後だった。

娘さん二人は嫁がれているので、おばさんがひとり残された。
おばさんは63歳で未亡人となった。

いつもニコニコしているいいおじさんだった。

人の死はあっけない。

ワタシの母だってもう89歳という高齢だからいつそうなってもおかしくない。

死ぬ順番が逆転しなければ、悲しいけれどそれはもうよしとしなければいけないのだろう。

子が親を看取る。
子が成人していれば、逝く親は安心だ。
完璧な安心など親にはないが、それでも未成年の子を残して逝くよりはずっといい。

ただ、これが逆転ならば、この世の最も深い悲しみとなる。
救われない悲しみだ。

妻が夫を看取る
これも子供が成人していれば、経済的な不安は少なくなる。
愛情と信頼に満ちているご夫婦ならば、悲しみは深いが、統計的にみると妻の立ち直りは案外早いらしい。

悲しみにもやはり段階があるということだ。

ワタシの叔父は、若いときに新妻と1歳と2歳の子供を火事で失った。
自分も大火傷を負った。
怪我がひどく妻と子供のお葬式にもでられなかったほどだ。

当時中学生だったワタシは葬式に参列したが、悲しみで覆われて、とてもこの世の出来事とは思えなかったほどだ。

それでも叔父は苦難を乗り越え、新しい出会いをみつけ再婚し、子供も生まれ成人し孫もいる。

人生というものはいつまでも悲しみに浸らせてくれるほど、優しいものではないらしい。
生きていくということは、進んでいくということだ。

食べるためには食事の準備をするし、寝るといっても布団も干したりするし、家を掃除したり、近所付き合いをしたり、仕事をしたり、TVを観たり、読書をしたり、日々は忙しいのだ。

おばさんもまだ20年以上も平均寿命まであるのだから、楽しみをみつけ、おじさんの分まで老後を謳歌してほしい。

ワタシの母も父がなくなってもう19年経つが、天寿をまっとうするがごとく、元気に過ごしている。

死の時は神のみが決めるものであるから、そのときまで人は生をまっとうする運命にある。
だから、同じ時間を過ごすのならば、楽しくしたほうがいい。

そうだ。

楽しくね。




zzz
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by asaasa-archi | 2012-12-27 00:42 | 生活