例えば、生活のなかにある雑貨とかで、こーにも使えるし、あーにも使える ってものはある。
ただ、それは割とフレキシブルな形をしていたり、シンプルだったりすることに気づく。
代表的なものが、「ぶらさがり健康器具」
単純に四角い金属製のパイプが縦長になっているだけのものだから、ぶるさがるものが、人間でなくても、ハンガーに掛けられた衣類でもいいわけだ。
だが、複雑な形をしていたり、機能が特化しているものは、だいたい他に使い道はない。
タオルは使い込んだら雑巾として生まれ変わるが、時計は壊れたら捨てる以外ないし、ソファはベッドとしても使えるが、電話はその機能がなくなったら、ただのゴミとなる。
人間にも十分あてはまる理論である。
近所のおじさんは自動車学校の技能教官を定年退職して、介護施設の送り迎えのバスの運転手さんになったが、警察官を退職したおじさんは、ただぶらぶら遊んでいる。
これは、運転という技能が、職種的に裾野が広く、フレキシブルに応用できるという特色があったからだ。
そう考えると、ワタシの仕事はもう、建築以外の応用はできない。
これ以外ないということだ。
もちろん自営業なので、定年退職はないが、これを活かして別の道にいくということはできないのだ。
こういう特化した職業に進むということは、一生それを続けるという覚悟を決める ということに他ならない。
もちろん日々 生き馬の目を抜くがごとく競争であるし、鍛錬でもある。
安定した生活などないし、趣味にいきることもない。
でもつらいだけってことでもない。
実は楽しかったりやりがいがあったりすることも多い。
ないところから、一つの建物を完成させて、そこに幸せに住む人がいる。
一生に一番の大きなお金をかける瞬間に立ち会うことができる。
こういう充実した大きな幸せというのは、大きな苦労の「はて」にある ことをしみじみと感じさせてくれるのである。
まさに子育てと同じである。
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