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オープンキャンパスと蛍雪時代

大体の大学のオープンキャンパスはこの6月くらいから、始まる。
大学によっても様々だが、1年に数回開催される。

これは大学側が主催で、受験生を対象に大学を開放し、学内の雰囲気を味わってもらったり、イベントを開催し受験生の心をつかもうというものである。
当然、学生が立案し行う。

高校2.3年生になると先生もオープンキャンパスに行っておけ と進めるようで、mysonも2年生では「青山学院大学」3年生では「横浜国立大学」に行った。

モチベーションを高めるのには最高の効果があるので、自分の現在の偏差値よりも ずいぶんと高い大学を選んで行ったりするようだ。(当然だが・・)

あ~つらい受験地獄に勝利して、ここに通いたいなー
とか
絶対にここに通ってヤルゼ
とか思うようで、ここから帰ってくると、やる気マンマンとなって、高揚していた。

「横浜国立大学」で買った「横国ラーメン」は大事そうに持っていて、とうとう彼はそれを食べることはなかった。
「青学大」でもらった「シグネチャー入りの鉛筆」も 削って使うことはなかった。


いつの頃からこのオーキャンが始まったのかは ワタシは知らない。
ワタシの時代はもちろんこんな親切なものはなく、田舎の高校生は進路指導室に置いてあった「月刊 蛍雪時代」を読んで、ひそかな夢を膨らませていたものだった。

忘れもしないが当時の蛍雪時代の表紙には 若かりしころの 東京女子大に通っていた「竹下景子」だった。

この頃は日本がそれほど豊かではなかったので、女子は特に首都圏に出るのならば、金銭的な理由から国公立大学でなければ許されなかった家庭が多かった。
(この頃の国立大学はびっくりするほど学費が安かった。)

兄や弟の進学のほうを優先しなくてはならない家庭が大半だったからだ。
女子で首都圏の私立大学に通わせてもらえるのは、金持ちの家か、ワタシのように一人っ子しかなかった。

それでも、私たちはみな 放課後の進路指導室に集まり、ぼろぼろになった蛍雪時代を片手に、夢を語り合った。
この時代の大卒女子の職業といえば 学校の先生か薬剤師くらいであったので、学年で60人しかいなかった女子の大半は教育学部か薬学部に進学した。
何人かは医学部に行った優秀な女子もいた。

建築科に行ったのはワタシひとりだった。

オーキャンなどはなかったので、受験のときに始めて大学を見たものも少なくなかった。
蛍雪時代の白黒写真でしか見たことのなかった大学であった。

ときは移り 時代はインターネットで世界中とつながった。
交通も格段に便利になり 静岡から首都圏は通勤圏にもなりえる時代になった。
女子の選択できる職業もずいぶん増えた。

それでも受験の厳しさだけは変わらない。
がんばったものだけに与えられる勝利だ。

理想は高く持とう。

がまん強くあれ。

過ぎ去った日々を思うときに、ワタシはこう若者にエールを送りたい。



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by asaasa-archi | 2011-06-18 23:18 | my son