すごい作品だ。
文章がまるで音を奏でているかのごとく空間をゆらゆらと浮遊しながら、しかも旋律を隠しもっている。
先日読んだ「ノルウェイの森」が美しい絵画のようだと思ったが、これは音楽のようだ。
しかも、この音楽は時間軸をゆらゆらとさまよう。
天才とも言うべき表現力もさることながら、この25年前の時と現在の入れ替わりがあまりにもにスムーズで
官能的だと感じた。
貴子(きこ)と永遠子(とわこ)の二人が25年前に過ごした葉山の別荘での1日と現在の1日の出来事が書かれているのだが、根底には誰にも平等でしかも一定の速度を持ちながら均等に流れていく時間という概念をみごとに覆して、あざ笑うがごとく転調を繰り返していく。
現在のふたりがカップラーメンの3分を待つくだりにこれが言い表されている。
「一口に3分といっても、カップラーメンを待つ、風が吹きすさぶ早朝に電車を待つといった3分間は長く感じられる。公衆電話の3分10円は会話する相手によりけりだけれど、ウルトラマンは3分あればじゅうぶんすぎる。時間というのは、とき過ぎてゆくようであり、いつも同じ尺で流れてゆかない。」
25年前の1日と現在の1日の二日間をこのような
同じ長さでない時間で結びつけバイオリンソロの音色で表現している。
貴子と永遠子の人物もていねいに書かれている。
お互いにおかれた境遇の違いやら、家族に対する感情の区別も正確だ。
貴子の母の春子や貴子の叔父の和雄の関わり方も洗練されている。
多少、抽象画のようなぼかされたテーマが気にはなった。
次回はテーマを掲げ、こういう手法で小説を書いてほしいと思った。