女性建築士のブログ 普段どおりの毎日

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ノシタルジア

「国分寺の街 行ってみないか?」と息子が言った。

久々に成城の息子のアパートを訪れ、二人で渋谷で買い物をしているときだった。
「そりゃぁ、行きたいよ。でもワタシが大学を卒業してから20数年も経って、もうあのぼろアパートないかもしれないし・・・」
「行こう!」

井の頭線で吉祥寺まででて、JRに乗り換えた。
当時は三鷹を過ぎるとぐっと閑静な感じの街に変わっていったが、小金井あたりもにぎやかな街になっているのは車窓からもよくわかった。

国分寺の駅ははるか前に駅ビルができたとは聞いていたが、予想通りの変貌をとげていた。

ワタシのアパート(というよりも下宿に近い)は北口から北進して15分だったので、道に迷うとこはない。
駅近くの「アミ」という喫茶店はまだあった。
モーニングセットが200円でコーヒー、ゆで卵、トースト、ミニサラダがついていたので、毎日のように通っていた店だ。
午後2時までのサービスだったが、それにも間に合わないことがよくあった。

しばらくすると見覚えのある本屋があるビルが見えた。
少ない仕送りで本を買うことはそうなかったが、よく立ち読みをした。

そこをすぎると街がいっきに寂れてきた。
なんということだ。
当時は商店街としてかなり活気があり、魚屋さん、肉屋さん、八百屋さんなど軒をつらねていたが、それがいっさいシャッターを閉じていた。

15分くらいすると道が少しカーブするが、そこにワタシのアパートがある。

1階は大家さんがクリーニング店をやっていて2階の10室が学生の下宿になっていた。
「あっ!ここだ。」すぐわかった。
やはり、クリーニング店は閉じられて、下宿はやめているようだった。

4帖半一間でトイレは共同、風呂ナシの下宿は今では住む学生もいないのだろう・・・
思い出と現実が交互にワタシの脳裏を行きかい、やがてノスタルジアが押し寄せてきた。

そこの下宿には、学芸大、東京経済大、白梅女子大、拓殖大 さまざまな学生の男女が住んでいた。
アパコンと称してみなで飲み会をしたこともあった。
はじめてパソコンを見たのも、アパートの住人の部屋だった。
入学当時1年生が3人いたので、寂しくなるとよく部屋を行き来したものだった。
もちろん電話は大家さんの呼び出しのみで、故郷に電話するときには公衆電話をつかった。
かぐや姫の「神田川」を口ずさみながら、銭湯にかよった。155円だった。

息子は初めての一人暮らしで部屋のインテリアに力をそそぎ、渋谷のフランフランでしか小物は買わないという。
カーペットは黒、机とワードローブは白、イスとZライトは赤になっていた。
パソコンとiポッド、薄いTV、エアコン、おしゃれなリネンに囲まれて、毎日部屋のシャワーを使っている。

日本は物質的には確実に豊かになった。
子供が少なくなり、大学全入時代になろうとしている。
はたして本当に豊かなのか・・・

最近は未曾有の大不況でアルバイトがなかなか決まらないらしい。

物言わぬ親のがんばりで、隠されているが、本当は、昔と比べて豊かなのかは、わからない。

寒い冬の夜、公衆電話で10円玉をたくさん用意してかける恋人への電話の「切なさ」は今の彼らにはとうてい味わうことのできない恋愛の醍醐味である。
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by asaasa-archi | 2009-08-01 21:26 | 旅行