時間というものは継続性があって、線であり、過去から未来にむかうベクトルであるのだが、だからといって、今という現在はそのベクトルの通過点ではないはずだ。
時は刻一刻と過ぎていくが、人生という見方をすれば、ただのベクトルの通過点にはしたくないのだ。
私たちは小さいときから、目標を持って生きろと教えられてきたし、その方法論は正しいのであるが、目標の定め方によっては、それもまた、人生をベクトル化してしまう恐れもある。
わかりにくい言い方をしてしまったが、例えばワタシの場合、ここ20年間の目標としては、家を建てることと息子を大学卒業させることだった。
それも、おおかた達成されることとなるだろう。
そうすると、次の目標をたてなければならず、例えば、世界一周することとか、湘南にマンションを買うこととか、希望を挙げればきりがない。
何かを定めて、また一生懸命働いて、お金をためてそれに向かってまい進することになる。
でも、人生ってそういうふうにするとなんだか、鼻先に人参を下げて走る馬のような生き方になることは必須なのである。
まぁ、生きていくということは、働いてお金を稼ぐことには違いないのだが、そうばかりでもないと思うのだ。
つまりは、これからあとの20年、人生を極力ベクトル化しないで生きてみたいと思っているのだ。
もちろん仕事に関しては、ひとつひとつが大切で、建築に埋没はするのだが、しいては経済活動の一旦を担うことになるという必然性もある。
ここにきてワタシは今の瞬間を点としてとらえる生き方を模索してみたくなった。
当然ではあるが、仕事は仕事として成立させながら、もうひとつの人生の捉え方を探すという意味なのである。
精神的なものであるのか、仕事の余暇にできるような行動であるのかは不明だ。
なにかはさっぱりわからない。
どうしたらいいのかもわからない。
でも、もう目標をさだめてそれに向かって走るというベクトル化したもの以外の何かを心が求めている。
なんだろう・・・
悩む
悩める中高年なのだ・・・
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